コラム

舛田友太郎 同盟福音基督教会 愛ホープチャーチ 牧師

「いのちのことばを届ける」

「しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝えるひとがいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。」(ローマ10:13-14)
 教会には、毎月多くの郵便物が届く。なるべく目を通すようにはしているが、中には申し訳ないと思いつつ、ちり紙置き場に置くこともある。
 光と音は、波長が違うが、同じ電磁波であることを知った時、たいへん驚いた。目で捕えることのできるものを「可視光線・光」と言い、耳で捕えることのできるものを「音」と言うそうだ。
 ラジオ放送は「音(ことば・音楽)」を、ある周波数の電波に変換し、発信する。これを聞く為には、受信機であるラジオが必要。
 世の中には、面白いことをする人たちがいる。地球外生命体に向け人類の存在を発信している。「アレシボメッセージ」と呼ばれている。1679個のドット(デジカメで言う画素に相当)を使い、DNAの螺旋構造、人間の姿、平均身長などを、ドット絵で表し、広大な宇宙へ向けて発射した。なんとも壮大で、ロマンを感じる。
 私はカメラマンとして広告会社で働いていた。入社1年目、大先輩から「光を見えるようになれ」と無理難題をつきつけられた。また恒例の赤ワインのボトルの課題が与えられた。真っ暗なスタジオにこもり、ひたすら光と向き合った。「駄目。もう一度やり直し」。職人肌で、体育会系の現場だった。私は家にも帰れず、夜中の2時、3時まで、汗臭いAスタジオに、こもり続けた。小さな部屋には、いつもラジオの有線放送がかかっていた。「世の光」放送とは全く関係のない所だが、光をとらえようと、シャッターを切っていた。だから、光と音は身近なものであり、どちらも欠かすことのできないものだ。
 …そんな私が牧師となり、教会で仕え、毎月届けられる郵便物に困りながら、TBAだよりの巻頭言を書かせて頂いている。人生とはかくも不思議である。そして、神さまはもっと不思議なお方である。このお方は「いのちのことば」を届けようと、宣べ伝えるひとを、今日もスタジオに送っておられる。

カテゴリー