コラム
山崎俊彦 日本長老教会 四日市キリスト教会 牧師
「聞いて喜ぶ」
「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて…守る者たちは幸いである。」黙示録一章三節
私の生活の中からラジオが消えてどれ位たつことだろう。オールナイトニッポン、セイヤング、ナッチャコパック。ラジオのチャンネルを右に左に回しながら、深夜放送に夢中になっていたのは中学生それとも高校生の頃か?
今回敬愛する青木牧師から巻頭言を依頼され、初めて東海福音放送の働きがこの地域で、五十年間も継続されてきたことを知り、本当に申し訳なく感じた。
三重の地で教会に仕え、三十三年もたつのに、尊敬すべき牧師たちがラジオを通し、この地域に福音を伝えてこられたのに関心を向けることがなかったからだ。
原稿を依頼された後、福音放送を聞いてみて、改めて感じたことがある。それは、みことばを聞くことの幸いである。私たちが聖書に接する方法は、読むか書く。特に牧師の場合は語ることが多い。
だからこそだろうか。みことばを聞くと言う経験は極めて新鮮かつ刺激的であった。聞き入るうちに、いつの間にか聖書の世界に入り、思いを巡らす自分を発見したのだ。
語ること、読むことは、自分のペースで行えるが、聞くことは語る者の思考とことばの流れを追い、従うことを強いられる。知らぬうちに謙遜にさせられるのだ。勿論、これは熟練したパーソナリティの巧みな話術によるところが大と思われるが、集中して聞くみことばの味わいは、また格別である。
そう言えば、私の友人の一人は、北海道での学生時代、ラジオから流れる、福音を聞き、教会に足を向け信仰に導かれた。教会のある婦人は、キリスト教ラジオ放送を心の糧にしておられる。
障碍者施設で生活する兄弟は、話し相手に事欠きジェットストリーム愛聴しているそうだ。ラジオ放送はまだまだ人々の心の支えだ。
こんど、あの兄弟に東海福音放送のことを教えてあげようと思う。放送を聞いて喜ぶ笑顔が、見える気がする。