コラム
吉澤慎也 キリスト者学生会(KGK) 東海地区主事
ラジオにあまり関心がないという方々へ
「ラジオ」という物体を見たことがない若者はけっこういると思う。実際、私が関わっている大学生たちの多くは、ラジオを持っていない。そんな彼らがラジオ番組を聞く時に使うのは、インターネットであり、スマートフォンだ。スマホにポッドキャストのアプリをダウンロードして番組を聞く。そこにはもはや「ラジオ」という言葉はあまり出てこない。そんな時代を私たちは迎えている。
私自身はもう少し前の世代の人間だが、熱心にラジオを聞いた経験は実はあまりない。中高生時代、一部の友人たちがラジオにはまっていた。「○○がめっちゃおもしろいから、お前も聞いてみろよ」と勧めてくる友人たちの口調には、俺は一足先に大人の世界に足を踏み入れてるんだぜ、という思春期特有の優越感がちらほら感じられた。そういうものは決まって深夜番組で、当時の私のライフスタイルには合わなかった。また、親や先生からは「毎朝○時に起きて、ラジオで英語を学ぶのが良い」とさんざん聞かされてきたが、私はそういうのは3日以上続いた試しがない。ラジオって、私にとってはそういうものだ。身近なようで、ちょっと遠い存在。ちょっと向こうの世界。
そんな私にとって、ラジオ宣教というのは正直あまりピンと来なかった。しかしある時、クリスチャンの友人に「そんなの誰が聞くの?」と率直に問うてみると、車のドライバーへの伝道に用いられているようだという答えがあり、なるほどと思わされた。また、ある宣教ツアーに参加した時、そこでは遠く離れた地に住む民族への宣教のために電波放送が欠かせないという話を聞き、やはりなるほどと思わされた。要するに自分が知らないだけで、実は放送伝道には大きな可能性があるのだと、様々な機会に教えられてきたものである。
福音宣教にはあらゆる手段があって良い。TBAのようなラジオ放送も、確かに用いられているのだ。それは「何とかして、何人かでも救うためです。」(Ⅰコリント9:22)
実際の番組では、若者に届く言葉を持っているパーソナリティたちが、大変おもしろおかしく盛り上げてくれている。これは聞いて間違いない。