コラム
51 目からウロコ?鼻から牛乳? 世の光・ジェネレーションX・パーソナリティー 水谷潔
「見えることの不自由さ」
江戸時代の国学者、塙保己一(はなわほきいち)は7歳のときに視力を失いますが、その後、苦労しながらも学問で身を立て、多くの弟子を持つようになります。その存在は、海外にも伝えられ、ヘレン・ケラーも、彼を目標として努力したそうです。
ある夜のこと、保己一が講義をしていると強風が吹いて、ろうそくの火が消えてしまいます。それとは知らず保己一は講義を続けますが、弟子たちのあわてた様子に事の次第を悟り、冗談でこう言ったそうです。「目あきというのは不自由なものじゃ」
コリント人への手紙第二の4章18節は、「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」と教えます。目の見えることが自由で、見えないことが不自由だとは限りません。 見えるからこそ、一時的なものに目を留めてしまい、永遠不変の真理に歩めなくなる不自由もあるのではないでしょうか?時に目を閉じ、永遠を思い見ながら、み言葉が示す真理に歩みたいものです。