コラム

日本同盟基督教団 安城中央キリスト教会 吉兼 剛

「犠牲に応える者でありたい」

先日、韓国のソウルに行き、揚花津(ヤンファジン)外国人宣教師墓苑と新しく建てられたラジオ放送の立派な施設を見学する機会が与えられました。

外国人宣教師墓苑は、韓国への宣教のために一生を捧げた宣教師とその家族145名の人々が葬られている場所です。教会を建て上げる為や、大学などの教育機関設立の為や、病院などの医療機関設立の為に多くの犠牲を払われた方など、さまざまな宣教の働きに尽力された方々が葬られている場所を訪れ、韓国においてキリスト教が深く、広く浸透している原因の一端を垣間見ることが出来ました。

そして、ラジオ放送の施設は、真新しく、充実した、素晴らしい設備であり、その規模の大きさに驚くのと同時に韓国における今までのラジオ放送の歴史についても詳しく学ぶ施設が備えられており、韓国におけるラジオ放送に関しても、宣教師たちを初めとする多くの人々の犠牲があったことを知ることが出来ました。

犠牲と言うことで言えば、日本においても、私たちの教会がスウェーデンの宣教師たちによって始められたように、宣教師を初めとする多くの犠牲があったことは、多くの方がご存じでしょう。それは、ラジオ放送も同じであると言えるでしょう。

その犠牲の大きさを考えるとあまりに大きすぎて圧倒されてしまいます。私利私欲を捨てて、ただキリストのために多くの犠牲を献げられてきた偉大な信仰の先輩たちがおられたからこそ今がある事を痛感します。

そして、犠牲と言うことで言えば、私たちに与えられている最大の犠牲はイエス・キリストの十字架です。聖書には「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(Ⅰペテロ2:24)」と明らかにされてあります。私は、このキリストの犠牲に対して少しでも応えて行く者であり、そして、信仰の先輩たちの犠牲を自覚しながら歩んで行きたい思っています。

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