コラム

活けるキリスト守山一麦教会  伝道師 山内とく子

「百聞は一見に如かず」

一昨年三月に家族が、東北震災復興支援のために岩手県に派遣されたのを機に、地元の教会を訪ねました。若者の多くが学校を卒業すると地元を離れ、少子化による人口減少が続く過疎地の教会です。そこへ未曾有の震災が襲い、転居を余儀なくされた信徒も多かったと聞きました。江戸時代初期にも厳しいキリシタン迫害の歴史を背負っている地域でもあります。そんな伝道困難地域で、五十年間信仰の火をともし続けている老牧師ご夫妻にお会いすることができました。虚飾を廃したお二人のたたずまいと、奇跡的に被災を免れた教会への限りない感謝と愛着をお聞きすることができ、伝道とは何かを教えられ背筋が伸びる思いがしました。震災の爪痕が残る地域で、そこに住む人々の思いと共に生きる過疎地の教会を、わずかな時間見たにもかかわらず、その地名を聞くだけで万感胸に迫ります。

キリスト教会と接触がなかった人が、教会に行くというのは自分の経験からしても勇気がいります。世の光ラジオ伝道は教会の敷居を低くしてくれると思います。その一方で、インタ―ネットの普及で情報の総合体に簡単にアクセス出来るので、教会に行かなくてもキリスト教のことが分かる、と錯覚させてしまう危険性が現代社会に潜んでいます。マタイの福音書十八章二十節「二人でも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる。」との仰せのとおり、御聖霊は、信徒が共に集まり神を礼拝し、その交わりを通して、豊かな恵みをお与えになります。教会の交わりを避けて孤立した姿勢は、豊かな信仰とキリスト者としての人格形成の補強とはなりません。教会の交わりに参与する日々の体験が、私たちをこの世の価値観とは異なった、豊かな神の国の交わりへと導いてくださるからです。世の光の番組の最後に、東海地区の教会と問い合わせ先の紹介がなされていますが、事務局からの紹介で、私どもの教会に来会し、受洗に導かれた方がおられます。踏み出すことを迷っている人や、孤立している人たちを、教会の交わりへと導いて下さる貴重な働きと感謝しています。

カテゴリー