コラム

2014年1月 巻頭言 刈谷知立キリスト教会 飯沼 智師

「不足を補う」

 

主の2014年 あけましておめでとうございます。

旧年中は、東海福音放送の働きのためにご支援を頂き感謝申し上げます。

引き続き、ご支援をよろしくお願い致します。

 

さて、支援と言いますととかく献金の要請が目に付きますが、本当に必要なのは熱い祈りであると今さらの感がありますが教えられております。

聖書には「熱心に祈る」という言葉に訳されている箇所が三箇所あります。

最初は、ペテロが投獄された時のエルサレム教会での祈りです(使徒十二5)。二つ目は、パウロが短期間の伝道で産み出したテサロニケの信徒に対する祈りです(Ⅰ三10)第一3:10。最後は、ヤコブによるエリヤの雨をとどめる祈りについて用いられています(五17)。5:17

エルサレム教会の祈りの熱心さは、「根気よく」という意味のギリシャ語が用いられています。しつこさが取り柄です。一度の祈りで奇蹟的なことが起こらなければ「主が何とかしてくださる」との信仰を働かせて絶えず祈り続ける熱心さではないでしょうか。

パウロの熱心さは、「非常に甚だしく」「すべてを越えて」という意味です。会って信仰を導きたいと願っているパウロでしたが、自分の思い以上に最善をなしてくださる神様を信頼する祈りです。

エリヤの熱心さは、「祈り」という言葉を重ねて用いて強調しています。「祈り祈る」と雨は降らなかった。彼は、神様の約束だからそうなるだろうと安易な思いで祈ることはしませんでした。主への信頼の熱意が熱心な祈りとなったのです。彼の信頼は、神様は愛と恵みに至ることを信じての熱心な祈りでした。

東海地区の宣教のために主が用いておられるこの働きのために、「根気よく」「すべてを超えて働かれることを信じ」「真実な」祈りを捧げる熱心な祈り手とさせて頂くために、不足を覚える者です。

この一年、主の憐れみを求めつつ熱心な祈りが捧げられるよう努めたい。

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