コラム
目からウロコ?鼻から牛乳? 18 迷う神様と導く神様 水谷潔
一クリスチャン男性からお聞きしたお話しです。昨年末のこと、幼稚園に通う娘さんが、笑い転げておりました。何でも、幼稚園の教材に記されていた「門松は、年神様が道に迷わないための目印」という説明を読み、笑いが止まらなくなったというのです。
全知全能の神様を信じる娘さんとって「道に迷う神様」は、笑い話としか思えなかったのでしょう。それを聞いて私も「迷える人間を正しい道に導くのが神様でしょー!自分が迷って、人間に導かれてどうすんの?」と年神様にツッコミを入れてしまいました。
詩篇23篇1節は「主は私の羊飼い、私は乏しいことがありません。」と最高の導き手を示しています。弱く愚かで迷いやすい羊も、よい羊飼いに導かれるなら、その歩みは豊かなものとされるのです。聖書によれば、人生の豊かさと乏しさを分けるのは、私たちの賢いさ、愚かさや強さ、弱さではなく、「誰を導き手として歩むか?」です。新たな年を迎えました。この一年、弱く愚かなままで、この最高の導き手に従ってゆきたいですね。