コラム
2013年12月 巻頭言 名古屋めぐみ教会 石川正師
「喜びを知らせに」
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 ルカ2章10~11節
クリスマスおめでとうございます。
最初のクリスマスのおとずれは、羊飼いたちに告げられました。メッセージを聞いた羊飼いたちは、ベツレヘムに向かい、救い主を捜し当てます。そして、自分たちの目で見たことではなく、告げられた福音をそこに居合わせた人たちに話して聞かせたのでした。聞いた人たちはみな、羊飼いの話を不思議に思い、母マリヤは、語られた「ことば」の意味を静かに深く考え続けていました。
クリスマス・シーズンの到来は、イルミネーションによって、目から入ってきます。年毎にその輝きを増しています。そのため、イルミネーションの輝きの陰に隠されて、喜びの知らせ(福音)が聞き取りにくくなっているように感じます。
「牧会者の神学」の中でE・H・ピーターソンは、「聞くこと」の重要性を次のように説明しています。
『「聞くこと」において私たちが使うのは「耳」であり、「読むこと」においては「目」である。私たちが聞くのは「声の響き」であり、読むことは紙の上に記された「記号」である。この違いは重要であり、そこから大きく異なった結果が生じる。「聞くこと」は人格と人格の間で交わされる行為である。そして、それは二人または、それ以上の人々を非常に親密な関わり合いの中におく行為である。』人が福音を聞き取るためには、人格と人格の関わりが不可欠であり、ラジオ放送も例外ではありません。
ラジオは放送メディアとして古くから生活に密着しています。放送エリアが限られているので生活に密着した情報を伝えやすいこともあり、リスナーからのお便りを紹介することも多いのです。
TBAの働きは、喜びの知らせ(福音)をラジオ放送によって語りかけ、聞いた人々の心に納められ、「みことばが宿る」ことにあるのではないでしょうか。