コラム
巻頭言 「個人伝道の一環として」
TBA信徒理事 筑間秀治
「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休めるとき、遥か雲海の上を音もなく流れる気流は、・・・」とミスター・ロンリーの調べに合わせて城達也氏のナレーターで始まる「ジェットストリームス」は深夜0時から1時までの深夜放送にもかかわらず毎日これを聞くためにラジオにかじりついていた昔。エフエム東京制作の「ジェットストリーム」は1967年に放送が開始され、リスナーに異国の魅力を届け、旅行のロマンを刺激する素晴らしいラジオ番組として、多くの人々に親しまれているゆえ、その後も長寿番組として続いているとのこと。
ラジオとの出会いは今から60年ほど前の中学生時代、貧しくてラジオを持っていなかった私に友達が自作の真空管ラジオを譲ってくれたのが最初で、その容器から流れてくる音に感激し、いつも勉強しながら(※ここから「ながら族」という言葉が生まれた)ラジオを聞いていた。文化放送のオールナイトニッポンに周波数を合わせ、当時流行っていたジリオラ・ティンクエッティの「雨」やトム・ジョーンズの「ラブミー・トゥナイト」、シルヴィー・ヴァルダンの歌などの洋楽に夢中になっていたのは懐かしい思い出です。暗い夜は静かで長く感じられて不安な気持ちの中、アナウンサーの声には安堵したものです。
コンピューターなどのIT技術が進歩著しい現代において、アナログのラジオに耳を傾ける人がどれくらいいるのだろうか。しかもコスト面からAM放送は将来廃止されFM放送に転換され、古いラジオ受信機では番組を聞くことができなくなる中、リスナーの数は減っていくのかもしれない。しかし放送時間が5分と短い「世の光」の番組は福音を届ける手段として、少数者かもしれないリスナーに向けてこれからも配信を続けていくという宣教使命は、費用対効果では計れない大切な働きである。しかし放送を続けるにはそれに掛るコストを度外視することはできない。キリスト者一人一人が個人伝道の一環として祈りと金銭的支援をもってこの働きを共に担ってもらえればと2年前から信徒理事としてかかわらせていただいく中で思わされたところです。