コラム

5月号 巻頭言 「祈り続けよ、日本の教会」

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団  豊橋キリスト教会   牧師 森本亮介

引っ越しが多い家庭に生まれ、なおかつ教会出席を重んじる信仰深い母の影響もあって、私は子供のころ(昭和の時代)から数多くの教会に足を運んできました。賑やかで沢山の子どもたちで溢れていた当時の教会!それに比べ、令和の時代における今の日本の教会に寂しさを感じている人は少なくないと思います。教会だけでなく日本社会全体では少子高齢化の波のもと、様々な地域で過疎化が今起きています。経済や若年層人口が潤沢であった80~90年代の日本の栄光を知っている者にとっては寂しさを肌で感じる時代となりました。  
様々な時代を生き抜いてきた日本の教会。その教会に対する私の第一印象は、「祈り」です。長テーブルの上にコーヒーやお茶菓子が並び、その横には信徒各自の聖書と祈り帳が置かれているその光景。パイプ椅子に座りながら黙々と静かに神に祈り続けるその姿は、シャイでひかえめでありつつも勤勉である、実に日本人らしい信仰の姿であると感じます。
日本の教会は昔も今も、諦めることなく祈り続けてきました。厳しい時代において、「祈ってもどうせ何も起きないさ」、「教会に来る若者なんているはずないさ」などと、消極的な思いに心塞がれることなく、神に祈り続けてきた信仰者たちの姿は、黙示録における“勝利を得る者”を連想させます。また、諦めずに祈り続ける彼らの信仰には、イエスが例え話の中において称賛した“扉を叩き続けた男”(ルカ11章)の姿を思い起こします。私が以前通っていた教会には聖書絵本の子ども伝道を長年している姉妹がいます。来るかわからない1~2名の児童の為に毎日欠かさず祈り、伝道の準備をしています。本当に立派な信仰です。
放送伝道には、お祈りと似ている部分があると思います。祈りが全ての人に届くように、電波も全ての人に届きます。そこには制限はなく、可能性は無限大です。しかし、結果の部分が目に見えないため、葛藤も多いと思われます。すなわち、祈りによる戦いがカギとなっていくのです。「福音は届かないだろう、、、」と消極的な思いに私たちは立ってはいけません。世の光である主を見上げ、絶えず祈り続ける、信仰の勝利者として歩んでまいりましょう。

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