コラム

日本バプテスト連盟  豊橋キリスト教会 牧師 小林大記

「今なお続く沖縄のリアリティ」

今年の6月に行われた「6・23「沖縄(命どぅ宝)の日」学習ツアーへ参加しました。命どぅ宝(ぬちどぅたから)とは、沖縄の言葉で「命こそ宝」という意味の言葉です。主に沖縄で反戦平和運動のスローガンとして用いられています。今回のツアーでの学びは、沖縄本土での地上戦に限らず、長年行われてきた沖縄に対しての抑圧の歴史に触れることができた大変貴重な機会となりました。

読谷村にあるチビチリガマ(ガマは自然洞窟の意)。1945年4月2日、米軍が沖縄本島に上陸した翌日、ガマにいた140名のうち83名が死亡。その6割は18歳以下の子どもたち。「お母様の手によって私を殺してください」と願う娘。その娘に手をかけ、続いて息子を刺す母。それがきっかけとなり次々と家族同士が殺しあったといいます。「御国のために命を捨てる」「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」という皇民化教育によって死が強制されました。集団自決ではありません、強制死です。同じ地区にあるシムクガマは1kmと離れていませんが、約一千人が助かりました。「どうせ死ぬのならば日に当たる場所で」という、皇民化教育の影響を免れたハワイ帰りの2名の説得があったといいます。

現在もチビチリガマの中に立ち入ることは遺族会の意思により禁止されています。真相について遺族は長年口を閉ざし、明らかになるまでに38年もの年月を要しました。そんな中、2017年にチビチリガマが少年たちによって荒らされるという事件が起きました。このガマでの出来事を子どもたちにきちんと伝えてこれなかったことへの驚きと後悔が人々の中に広がったといいます。

私たちにできること、それは、今も続いている痛みの現実に触れ、語られる言葉の真実に耳を傾けることかもしれません。パウロが「十字架につけられ給ひしままなるイエス・キリスト」(ガラテヤ3章1節 文語訳)と表すほどの十字架のリアリティを身に受けて福音を伝えたように、今なお続く沖縄のリアリティを知ってゆくことができますように。

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