コラム

加藤光行 日本福音キリスト教会連合 朝日聖書教会 牧師 

「伝える人々の足は」

 放送伝道の働きは初代教会時代の書簡の作業に似ているなと思う時があります。パウロや弟子たちが諸教会に宛てて手紙を書き、それらが回覧されてクリスチャンたちの間で読まれました。それらの二十以上が新約聖書の手紙ともなりました。新約聖書の手紙は著者が聖霊に導かれて書かれました。著者の役割は極めて大きいものですが、孤独な作業だけではなかったでしょう。当時の伝達手段としての手紙はチームとしての働きであったようです。新約聖書の手紙には共同著者と思える名が記されていることがあります。代筆者や口述筆記者だったかもしれません。加えて、手紙の宛先までの運搬や、宛先の例えば諸教会においての朗読をも含めて「手紙を書く」作業だったとも言われます。みことばと福音はそのようにして人々に伝わっていったのです。
 みことばを語ることだけが福音伝道の働きではありませんし、説教者だけが福音宣教を担っているわけでもありません。当時の手紙の運搬者が福音を足で届けたから、「地の果てまで」人々が救いを得ていったのです。福音伝達の手段としての手紙は現代の電波、書簡運搬者や朗読者の働きは放送伝道の働きにあたるかなと思ったりします。放送伝道でも説教者がやはり前面に露出するでしょうが、その背後にPAを操作する人、キューシートを作成する人、パーソナリティとして進行する人、放送局や出演者と折衝する人、リスナーのフォローにあたる人、支援確保のため諸教会を訪問する人など、見えない所での尽力があってはじめてリスナーに福音放送が届きます。さらに、放送伝道従事者と支援教会がまさにチームとなって福音はようやく地の果てまで運ばれます。
 現代にとって「地の果てと」とは、教会がすぐ近くにはない辺境に住む人々とかもそうでしょうが、例えば病床や療養にあって簡単には教会に足を運べない方々のもとだったりもします。筆者の義父は大怪我による病床で耳にした福音放送をきっかけに救いを得ました。難病によって直接の教会生活が困難になった現在、再び福音放送がみことばを耳にする貴重な機会となっています。「宣べ伝える人がいなくて、どうして聞くことができるでしょう。……良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

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