コラム

日本福音自由教会協議会 名古屋福音自由教会 平井聖歩

主の道を用意する声

  正直なところ、私はラジオ放送を通して福音を聞くことはほとんどありませんでした。そんな私ですが、放送伝道の大切さを知った出来事があります。それは、私が仕えている教会の方の証しです。この方は、深い痛みなかで、ずっと悪いのは周りであると周囲への怒りと憎悪を持っておられました。しかし、求道中にラジオ放送「世の光」を通して、それらの怒りや憎悪は周りのせいではなく、自分自身の中から出てくるのだということ。また、それは罪の結果であり、その罪が自分を支配し苦しめているということ。この罪は自分ではどうしようもできないということを知り、イエス・キリストを救い主として受け入れられました。ラジオ放送はまさしく「主の道を用意する声」でした。

そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」と言われたその人である。(マタイ三:一~三)

荒野は、草や木が生えない地であり、神のみことばによって生きることを徹底的に訓練する場であり、祈りの場です。そのような荒野に主の道を造る。それがバプテスマのヨハネの使命でした。ラジオ放送は「主の道を用意する声」であると思います。ラジオ放送だからこそ届くことのできる荒野があり、ラジオ放送だからこそ届く荒野に訓練に出ている人がいて、祈りのときをもつことができる。そして、主の通られる道をまっすぐにする大切な働きです。

数年前の東海地区PBAの集いに参加した際には、多くの方がこの働きを通して主と出会い、励ましを受けていることを知りました。また現在のラジオ放送はインターネット放送Radikoや、スマホアプリPodcastなどツールも増え、届くことのできる場所が増えているかと思います。私も不定期ではありますが聞かせて頂くようになりました。これからも、主がラジオ放送を「主の道を用意する声」として豊かに用いてくださるよう祈ります。

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