コラム

チャーチ・オブ・ゴッド 春日井栄光キリスト教会 関 昌宏

 私は教会付属の幼稚園で福音に触れ、キリスト教への好意をもちました。しかし卒園後に教会学校へ通うことはありませんでした。中学生の頃、海外放送を聞くことが流行だし、私も専用のラジオを買ってもらって世界中の放送を聞きました。実はその中の多くがキリスト教放送局だったのです。

 当時海外放送を聞いて報告を送ると、放送局からカードが送られてきました。それを集めるのが目的で、福音放送も結構真剣に聞いたものです。元々キリスト教に好意を持っていたものですから、放送の内容に抵抗はなく、むしろ放送を聞き続けるなかで好意が増していきました。それでも教会に足を向けることはありませんでした。

 高校二年生の時のことです。別に大病を患ったわけではありませんでしたが、自分もやがて死ぬ日が来るんだと思い、怖くなりました。そして勉強も手につかなくなっていったのです。私にとっての危機といえる時期です。そのときにようやく近くの教会に足を向けることができました。そしてキリストを受け入れたのです。

 自分自身の歩みを振り返るとき、たとえキリスト教に好意をいだくことがあっても、教会の門をくぐることは容易でないことを思います。しかし人は一生を歩むことの中で誰しも何らかの危機に直面させられることでしょう。その時こそキリスト教への好意が信仰へと変わるチャンスなのだと思います。日本では「もし信仰をもつなら何教に?」と聞くと、かなりの人々がキリスト教と答えるそうです。でも実際に教会に来られる方は決して多くありません。キリスト教に好意を持つ人々がいつの日か教会を訪れ、生けるキリストに出会えることを願ってやみません。と同時にまだ教会には足を向けようとはしなくても、福音放送を聞くうちにキリスト教に好意を持ったり、その思いを強められる方々がきっといる。その中からいつの日か教会に導かれる方が起こされる!自分が導かれた歩みを振り返るとそう思うのです。

 東海地区における放送伝道が私たちに見えない所でこそ用いられていることをおぼえて、祈り続けていきたいと思います。(Ⅱテモテ四・一七)

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