コラム

日本同盟キリスト教団 碧南聖書教会 牧師 菊池 充

「赦す喜び、赦される喜び」

 

赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。ルカ6:37

50年以上前、母が入院しました。お腹には弟となるはずだった妊娠8ヶ月の子どもがいました。慎重に赤ちゃんを取り出したのですが、30時間の短い命となりました。死んだ赤ちゃんを抱いた母は、天国に希望を持つという意味で「望」という名前をつけました。その母も翌月29歳で亡くなりました。私が、2歳の時のことです。

父は牧師として奉仕しつつ4歳の兄と2歳の私を育てていました。苦労が絶えない姿をみて、紹介された女性と再婚しその人が育ての母となりました。その母は、必要以上に私たちを厳しくしつけました。

私は子どもの頃「神がいるならなぜ弟と母が死に、父はこの人と結婚したのか」と思っていました。口うるさく言う母が嫌いでした。しかし、言うことを聞かないと居なくなってしまうのではないか、と思っていたので顔色を伺い、気に入られるように演じてきました。そんな自分が嫌になり、20歳の時に信仰も両親も友達も捨ててオーストラリアへ逃げました。誰からも咎められず楽しくなってきた時、高速道路で反対車線へ飛び出すという事故を通して献身へと導かれました。しかし牧師になっても心のどこかで母を赦せない思いがありました。ある朝、妻と祈っていた時「すべてのことについて感謝しなさい。これが神があなたがたに願っていることです」が示され、「産んだ子ではないのに、育ててくれたことは間違いない。母に『ありがとう』を言いに行こう」と終の住処として選んだ気仙沼へ行きました。しかし、いざ母を前にすると何も言えないまま帰ってきてしまったのです。それから、数ヶ月後に震災が起きました。地震と津波と火事に見舞われた映像を見た時、あの日「ありがとう」と言っておけばよかったと・・・。

安否が確認できたのは10日以上経ってからでした。急いで母のところへ行き、初めて抱きしめて「ありがとう」と言うことができました。すると、心が軽くなり今までの嫌な感情が消えました。両親は震災の影響を受け、翌年仲良く天国へ帰りました。

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