コラム

 JECA(日本福音教会連合)津豊ケ丘キリスト教会 副牧師 竹内誠

「ジッと」のための「スッと」

私が求道し始めた1995年、オウム真理教による「地下鉄サリン事件」が起こりました。当時の私は、自らの罪と対峙し、真理を求めて教会に通い、自分でも聖書を読んでいました。もし本当にこのお方に従って生きるのであるならば、このお方が本物なのかどうか聖書から確かめなければならないと考えていたのです。そして次第に「イエスは本物なのではないか、これこそが私が、いや人間が求めているものなのではないか」そう思い始めていました。しかし、ちょうどその時期、テレビで連日連夜報道されていたのが、オウム真理教による「地下鉄サリン事件」だったのです。その連日連夜流れてくるニュースは、私の求道心に水を差し、キリスト教にすら警戒心を抱かせました。その後も、新興宗教の奇行、不祥事は幾度となく報道されました。また、9.11アメリカ同時多発テロ事件、最近ではイスラム国の蛮行など、多くの日本人は宗教に「アブナさ」を感じています。そして世の中の人からすれば、キリスト教とて宗教の一つでしかなく、警戒の対象でもあります。

そんな現代にあって、ラジオ放送による伝道の意義はどこにあるのでしょうか。それは、無防備な状態のリスナーの心に福音を届けられるところにあるのではないでしょうか。私は普段ラジオを流しながら運転します。正直なところ、ただ流し、「ボーッ」としながら聴くのです。脱力状態で構えずに聴くのです。ラジオから流れる内容に身を委ねているとも言えます。ラジオは、テレビやインターネットに比べ、自らの意思で触れるというよりも、何かをしながら流し聴けます。しかし宗教に警戒心を抱く現代社会にあって、ただつけて流し聴く(だけのはずの)ラジオ放送こそが、最も無防備な状態のリスナーの心に、福音を届けられる可能性を有しているのではないでしょうか。「世の光」の放送は、私の心に驚くほど「スッ」と入ってきました。そしてそうした経験をこれからするであろう人々のために、TBAの働きがあるのです。その最初に「スッ」と入ってきた福音に、「ジッ」と聴き入る人々を生み出していくTBAの働きに、これからも期待しております。

カテゴリー