コラム
同盟福音基督教会 天白キリスト教会 牧師 森下信義
「天の御国への布石としての放送伝道」
私たちの主は、私たちの足りなさからもたらされるであろう様々なリスクを知りながらも、私たちに「福音」をゆだねて下さいました(Ⅰテサロニケ2:4)。そこで、この命のことばを何とかして伝えたいので、また主がお与えくださった宣教の使命に応答するために、これまで様々な試みがなされてきたのだと思います。TBAもその一つでしょう。
では、私たちは個人的にどのようにして人々に福音を伝えることができるのでしょうか。その一つのヒントが放送伝道にあると思います。
私と「放送伝道」。いったいどこに接点があったのか、残念ながらすぐには思いつきませんでした。けれども、よくよく思い返してみると、なんとあるではありませんか!「ラジオ世の光」によって、最も身近な人が救いへと導かれていたのです。
もう10年以上前のことですが、当時私は社会人クリスチャンとして何とか同僚たちに福音を伝えたいと願いながら、どうして良いのかわからずとにかく教会に誘うことから始めました。問題は次のステップです。同僚が教会に来てくれるまでは良かったのですが、誘った張本人が自分の口を通してうまく福音を伝えられなかったのです。そこで考えました。どうしたら福音を伝えられるだろうか?その答えの一つが教会のカウンターにあったのです。そこには「世の光」を録音したカセットテープが置いてありました。早速同僚にもそのカセットテープをプレゼントしました。それからは、毎日通勤途中の車の中で福音のメッセージを聞いていたようです。みことばは、毎日その人の内で生きて働いていました。その後、この同僚は明確な信仰へと導かれ、今ではみことばを何よりの喜びとし、私の生涯のパートナーとして歩んでいます。
以上は、救いのきっかけとして「世の光」が用いられた私の経験です。が、クリスチャンであっても週に一度、日曜日だけ、聖書を開きメッセージを聞くというのでは栄養不足になってしまいます。毎日みことばを思いめぐらし、日ごとに養いを得る必要があります。
そこで、週日いつでもどこでも聖書とそのメッセージに触れられる「世の光」は、天の御国へとつながる「命の道」の一つの布石となるのではないかと思います。