コラム

巻頭言 「キリストについてのことば」

日本福音キリスト教会連合 揖斐キリスト教会 牧師 森本範博

 先日、聖書通読日課でこんなところを通過しました。「イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。『もし私が、明日の今ごろまでに、おまえのいのちをあの者たちの一人のいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。』」(列王記第一 十九章二節)。エリヤでさえ、人のことばにこんなにも揺さぶられるのか、と思いました。

 ネット空間には「ことば」が溢れています。一瞬で消費されてしまうことば、相手にどう受け取られるのかを考えないで条件反射的にポチることば、匿名性がかえって発信者の心の闇を顕わにしてしまうことばなど。出所不明のことばが力を持ち、人々の感情、行動に影響を与えています。ことばが持っている「負」の力に驚かされると同時に、改めていのちのことばを送り届けるTBAの働きの尊さに気付かされます。

 ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。 

(ローマ人への手紙 10章17節)

 キリストのことばは、やがては朽ちてしまう人のことばではなく、また、一時的な感情から出てくるものでも、限られた知恵と経験から出てくることばでもありません。私たちへのあふれる愛と憐れみに満たされた、永遠の神のことばです。十字架のことばは消費され、やがて忘れ去られることばではなく、二千年間人々を救いへと導き、いのちを与え、生きる力を与えることばです。人を倒すためではなく、癒やし、立ち直らせ、共に歩もうとされるキリストのことばです。

 私たちはなんと素晴らしいことばをいただき、宣べ伝えるように励まされていることでしょう。土の器にすぎない者ですが、キリストをお伝えすることを通して、みことばが神ご自身の愛から出たことばであることが明らかにされるよう祈らされます。

 この尊い働きのために奉仕者が立てられています。限られた時間に、聞いておられる方々が主の御名を呼び求める者へと変えられることを願いつつ、熟慮を重ねて「ことば」を届けておられるこの働きを僅かながら支援できる恵みに感謝いたします。

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