コラム
巻頭言 10月号「いのちのことばを握りしめ」
単立・新城福音教会 宣教師 加藤直樹
「闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く」(イザヤ書9章2節)
私は50代後半まで新聞記者をしていました(今は70歳)。駆け出し時代に愛知県新城市に赴任。そこでイエス・キリストに出会いました。新聞社の事務所兼住宅を取材拠点に、一人で長野県や静岡県に接する奥三河地方を受け持っていました。
ある夜、午前零時過ぎに「佐久間ダムに一家4人の乗った車が転落したようだ」と警察から一報が入り、飛び出しました。当時は携帯電話もパソコンもない時代。いったん山奥に入ったら、本社と連絡も取れません。そこは明かり一つない「闇」の世界です。新城市から佐久間ダムのある北設楽郡富山村(現在は豊根村)まで車で2時間。曲がりくねったダムの湖畔道路を走りましたが、すれ違う車はゼロ。「一つ間違えば自分もダム湖に転落するかもしれない」という不安に襲われ、ハンドルにしがみついて道を突き進んだ記憶があります。
私たちの人生の旅路も、イエス様を知らなければ「魂の闇夜」の中を進むようなものです。十字架と復活によって私たちに罪の赦しを与え、復活を約束して下さったイエス・キリスト、世界を再創造される神の救いの計画を一人でも多くの人に宣べ伝えること――「世の光」放送の使命は混迷深まる世界にあってますます重要になってくるでしょう。私たちが救われたのは、「曲がった邪悪な世代の中にあって、傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くため」です(ピリピ2章15~16節)。
若かりし頃、記者として過ごした新城の地で、40年後の今、私が宣教師として働かせていただいているのは、聖霊の導きによるものです。過疎地域にあり高齢化が進む教会ですが、「たとえ外なる人は衰えても内なる人は日々新たにされている」信仰者の群れです(Ⅱコリント4章16節)。毎朝、ラジオで「世の光」を聴いて、励みにされている教会員もいます。私もスマホの『radiko(ラジコ)』を聴いて、力をいただいています。