コラム

6月号 巻頭言 「ラジオ放送だからできる」

日本福音キリスト教会連合 栄聖書教会 牧師 末松隆太郎

  「良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせる・・人の足は」
(イザヤ52章7節)
 人々の意思伝達の手段は、日進月歩で変化しています。私のような昭和人は置いて行かれ感も強く、時代についていけません。ところが、最近昭和の香りのするラジオ放送が見直され、心の内側を表わす場として番組が用いられているとも聞きます。
  そういえば私の経験の中でもラジオ放送の効用を再確認したことがあります。その一つは、何年か前に、ドイツの福音放送局を訪問する機会がありました。そこからはイスラム圏に向けてメッセージが語られていました。そして、その任に当たっている兄弟は、某国でイスラムの教師(イマーム)として働いていた時に、福音放送を聞いた事を契機に、クリスチャンになられた方でした。姦淫の女を赦し、回復させる主のメッセージを聞いて、イスラムの教えでは彼女は断罪され、回復はない。厳格な教えは素晴らしい、人間はその下では生きていけない者が必ず生み出される。このイェスの教えに今までの固定観念が触れられ、義と愛の絶妙のかかわりを示す聖書の真理を追い求める者とされたというのです。
  教会に癌の闘病をしていた兄弟がおられました。教会での求道生活を経て、受洗に導かれた後、長期の入院生活に入られました。彼の信仰の成長の糧は「世の光」でありました。早朝起きて、ラジオに耳を傾ける。イアホーンで聞くわけです。それが、彼の霊的生活の主食となりました。時折、訪問するとその主食に関する質問が沢山あり、お答えする内に1時間が経過するなどということは普通の事でした。厳しい闘病生活にも関わらず、希望を失わず、万が一の事があっても行くべき所は主が備えておられると語っておられました。ラジオの電波を通して福音が語られ、聞く者の心にそれが届く。それは絶妙の主の計らいに思えます。いずれの場合も、ラジオの福音放送がなければ起こらなかった事であります。改めて、この東海地区もその恵みに与っていることを感謝します。

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