コラム

3月号 巻頭言 「恩寵の待ち伏せ」の一手段として

日本イエス・キリスト教団  知多教会・名古屋東教会  牧師 木村勝志

 日本同盟基督教団の基礎を築かれたお一人の野畑新兵衛師が、ご自身の救いについてこう記しておられます。「神は私の望むところよりも更にすぐれたものを与えるため、知らぬ間に器と機会とを用意されていたのである。これを私は『恩寵の待ち伏せ』と名づける」。
 キリスト教とは無縁であった私の救いにも、大小様々な「恩寵の待ち伏せ」があったことを思い起こします。
第一は、成功を目指して勉学に励んでいた高校一年の時です。現代国語の先生から三浦綾子著『塩狩峠』を紹介され、早速新潮文庫を買って帰宅し、感動の涙を流しながら夢中で読みふけりました。さらに他の作品も次々読み、教会に行ってみたいという思いを募らせました。しかし当時、調べる手段といえば電話帳程度で、どの教会に行けばよいのか見当もつかないまま時が過ぎて行きました。
 高校二年の夏休み明け、体調を崩して欠席したのを機に登校できなくなりました。こうしたことが社会問題化し始めた頃のことで、「登校拒否」という用語しかまだなかったように記憶しています。今でいう引きこもり状態になり、何をするでもない、否、何も手につかない、人生に絶望し、ただ悶々と過ごすだけの毎日でした。眠れない夜、ラジオ「FEBC」を偶然(神にとっては必然)耳にしました。以来、番組を毎日毎週心待ちにするようになりました。第二の恩寵の待ち伏せです。私のことを知っているのではないかと思えるほど、その時抱えていた悩みや苦しみが軽減された経験は数知れず、感謝しています。「下には永遠の腕がある」(申命記三三・二七)。放送伝道は、私の長い絶望期間を支えてくれた、まさにいのちの恩人でした。
 約八年の引きこもり状態からどうにか抜け出し、アルバイトを始め、大学で学び始めた矢先、職場でクリスチャン男性との出会いが備えられていました。第三の恩寵の待ち伏せです。五月から求道を始め、その年のクリスマスに受洗しました。二十四歳の時でした。
 放送伝道が「恩寵の待ち伏せ」の手段の一つとして今後も豊かに用いられるよう祈り、献げ、労していきたいものです。

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