コラム

山下義道 活けるキリスト一麦の群 一麦ゴスペルチャーチ 伝道師

「本当のサポーターへと変えてくださる方」
 本当のサポーターとはどのような人でしょうか?2月にサッカーのアジアカップ決勝がありました。アウェーに苦しむ日本代表のために、現地まで赴く筋金入りのサポーターもいれば、スポーツバーに集まる、テレビの前で応援するサポーターもいます。そして、相手チームのPKに「外せ!」と祈りを込めるのです。しかし、日本代表を支援している企業で勤めていても、試合結果さえ見ようとしないなら、サポーターと呼べるかは疑問で す。サポーターかどうか分けるのは心ではないでしょうか?
 私はある宣教団体で働く友人に献金のサポートはしていたものの、日々の仕事に追わ れ、祈ることが全くできていませんでした。ニュースレターが届いた時だけ、申し訳程度に祈るだけでした。引き落としによって、献金だけが惰性でなされ、とりなしの祈りという最も大切な働きをしない役に立たないサポーターでした。自分のことだけに一生懸命 で、神の贖いの働きに参与させていただいていることを忘れてしまっていたのです。みなさんは宣教のためにどれほど祈っているでしょうか?祈ろうと決意しても長くは保たないものです。祈ることを願うのではなく、祈りを与えてくださる方のもとに行くことです。
 イエス様は神の御姿であられるのに、神としての在り方を捨て、空しい人間となりました。この方は十字架の上で、慕うような見栄えもなく、人が顔を背けるほどに蔑まれる姿となりました。嘲り笑い敵対する民に、そして、私たちに、イエス様は十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。」と、とりなしてくださいました。その言葉だけではなく、その姿自体が「わたしが彼らの代わりにこれほどに罰を受けましたから、どうぞ彼らを赦してやってください。」というとりなしであったことがわかります。イエス様こそが先に私たちにとりなしをしてくださったのです。この方は最も価値があるのに、最も低くなることを厭わないほどに、私たちを尊く見てくださっているのです。「世の光」を聞く人々をもそのように見てくださっています。この方との交わりが私たちをとりなしの祈りへと導き、私たちを本当のサポーターへと造り変えてくださるのです。

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