コラム

2013年9月巻頭言 活けるキリスト一麦教会 古田大展師

「ピリポ、世の光」使徒の働き八章二十六−三十九節
単立活けるキリスト一麦教会 牧師 古田 大展(ふるた ひろのぶ)

 ピリポの姿をよく見ていてください。誰も話しかけていないのに、うなづきながら誰かの話を聞いています。すると、突然旅の支度を始めました。そして立ち上がると、南のほうに向かって歩き始めます。御使いが「立って南へ行き(26節)」なさいと話しかけたからでした。
 ピリポの姿をよく見ていてください。 誰もいない所で、突然、天を見上げ、うなづいたかと思うやいなや、突然、土ぼこりを立てて目の前の馬車に向かって駆け出します。聖霊が「あの馬車といっしょに行きなさい(29節)」と命じたからでした。
 神の語りかけを聞いて、気のせいさ、と動かなかった人も、ピリポの時代にはいたことでしょう。しかしピリポは、立てと聞けば立ってみたし、南へと聞けば行ってみた。あの馬車と聞けば、何はともあれ走って行ったのでした。それは、万人に理解されたことではなかったことでしょう。何しろ突然旅支度をし、突然走り出すのですから。
 小さな赤い点と、小さな青い点が、中東の地図の上にあるのを想像してください。荒れ果てた砂漠の上、エチオピアの宦官の赤い馬車が、はるかに遅い速度で動き続けていた青いピリポと重なるのです。それは、宦官の音読する聖書が、ちょうど旧約聖書の福音書と呼ばれるイザヤ書53章に差し掛かかる、完璧なタイミングでした。
 私たちが、気のせいさ、などと言わず、聖書の言葉に従う時、 ピリポのように実際に動き出す時、神様の完璧なタイミングで誰かに出会うのです。「導く人(31節)」を求めている誰かに。そして、イエス様の福音はその人に伝わり、旧約の契約の外にあると言われた宦官も、どんな過去を持った人も、何かさしつかえでもありますか?という大胆さをもって、キリスト者になっていくのです。
  毎朝の早天祈祷会で「世の光」を聞かせていただいていますが、私はこのラジオ伝道は、まるで誰もいないところで神の語りかけを聞いて天を見上げ、伝道を始め、走り続けるピリポのようだな、と思うことがあります。 私たちの教会員として忠実に信仰を守っておられるある兄弟も、この「世の光」が伝えた福音を通して救われた、と教えてくださいましたが、このピリポ「世の光」、彼の説くイエスの福音は、神様の完璧なタイミングで、これからも「導く人」を求める誰かに届くことでしょう。

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