コラム
稲沢キリスト教会 ベルンス・ラインハード(Reinhard Berns)
信じますか?祈りを?
「もちろん!」と答える方は多いと思います。一般論として。でも、具体的なことになると?。
いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
「ある町に、…(不正な)裁判官がいた。その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」
主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」ルカ18:1-8
裁判官は悪かったです。やもめの立場は弱かったです。私たちの状況は、違います。
- 神様は、良いお方です。
- 私たちは、祈りが聞かれるために選ばれた者です。ヨハネ15:16
問題は、私たちは信じて、祈るかどうか。
私にとって他にもチャレンジがあります。「夜昼」という表現です。
東ドイツには、ヘルンフートという村があります。そこには1722年より、迫害を受けているクリスチャンが逃げて来ました。背景は違っていたので、一緒に暮らすことは、難しかったです。
5年後、ある聖餐式の時に、御霊の強い働きがありました。多くの祈りの答えでした。皆は、心からお互いを受け入れ合うことができました。
その後、100年間続いた、24時間の祈りのリレーが始まりました。それで、全世界に影響が与えられました。その村からの多く宣教師。「日々の聖句・ローズンゲン」。等々。
東海地方は、イエス様への愛、信者同士の愛として知られるように。「世の光」もそのために用いられるように。
色々な町で、ずっと続く祈りのリレーのために祈りませんか?