コラム

東名古屋キリスト教会 牧師 小池牧雄

魂の『家』を失っている世界に届いていく

「こうして、彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした」 ルカ15:20

ある日、中高生ミニストリーの中で、彼らに質問をしました。「『家』ってあなたにとってどんな場所?」ーホッとできる場所、ありのままでいれる場所、帰る場所、ご飯を食べれる場所…など様々な答えがありました。しかし、その中で答えるのに躊躇している女の子がいました。教会のほど近くに児童養護施設があり、彼女は毎回、そこから教会に足を向けてくれているのでした。彼女にとって、『家』を考える時にどんな場所と表現したら良いのか混乱があるのだと思い、私も心に痛みを感じた次第です。

同時に、私たち、神に造られた人間にとって、父なる神さまの『家』こそ、本当の魂の『家』なんだと、彼女になんとしても知っていただきたいという気持ちが強まりました。

伝道を考える時、様々なイメージを持つことが可能ですが、私にとって、ルカ15章の3つの譬え話が最も動機づけを与えてくれるものです。その3つの譬え話に共通するのは、神は私を探しておられ、待っておられ、私はこの神のところに帰る必要がある、そこがいるべき場所である、ということです。

ラジオ放送「世の光」の働きが長らく続けられてきています。私たちの教会にも、朝、出勤の車の中で放送を聴き、教会へ来られ、救いへと導かれた方がおられます。

放送を通して、まさに家族全体が主の家に帰り、あるべき人生を歩んでおられることを見させていただいています。さらに、さらに「世の光」の放送を通して、前述の彼女のように『家』について混乱している人も含め、多くの方々に届いていけますよう、魂の『家』に帰るきっかけとなりますよう、祈りに覚えていきたいと思います。

お恥ずかしいのですが、今回、巻頭言のご依頼をお受けしてから初めて、Podcastでの聴取が出来ることに気づきました。若い世代の方々にも、放送を聴いて、それを用いていかれるよう励ましていきたいとも思います。

カテゴリー