コラム

9月号 巻頭言 「カラスとラジオ」

同盟福音基督教会 グレースチャペル武豊  牧師 井上智彦

 「何羽かの烏が、朝、彼のところにパンと肉を、また夕方にパンと肉を運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。」Ⅰ列王記17章6節
 この御言葉は、有名なエリヤのカラスの一節であります。私は小さい頃から、この御言葉がいつも心の中に引っ掛かっていました。それは、エリヤが神様の御業によって養われていくという姿もそうですが、それ以上になぜカラスは神様の命令を忠実に守ったのか?という疑問があったからでした。普段、私が目の当たりにするカラスの姿というのは、農作物を荒らしたり、ゴミをあさったりなどの印象が強く、他の鳥に比べてあまり良くないイメージを持っていました。それは日本、また多くの国々でも同じようでして、不吉、死の象徴、忌み嫌われるようなイメージが持たれていると言います。そのようにあまり良くないイメージを持たれることが多いカラスですが、主のご命令なのだからと、自分たちも食べたいであろうパンと肉をエリヤのもとに朝、夕と届けたと言います。残念ながらこの時の細かい描写について聖書は記しませんが、カラスは喜びながら主の働きに参与したのではないかと思うのです。それは忌み嫌われるような存在として人々からは受け止められているのかもしれないけれども、神様はそのようなものを選び、尊い働きを任せてくださったという思いがあったからなのでしょう。だからこそカラスは喜びにあふれてエリヤに食べ物を運び続けたのではないでしょうか。このラジオ放送の働きも同じなのだと思うのです。カラスのように主が召してくださらなければ希望をもって歩むことが出来なかった私たちが、主イエスと出会い、そして変えられていった者として、エリヤのカラスのような働きをしているのだと思わされるのです。エリヤのカラスは朝と夕にパンと肉を運び、私たちは朝と夕?(深夜)に霊的なパンと肉(御言葉)を運ぶという違い、またエリヤのカラスはエリヤ一人だけに、私たちは電波を受信出来る多くの方にお届けするという違いはありますが、カラスが喜びをもってエリヤに届けたように私たちも喜びながら、この働きが祝され、主イエスと出会う人が起され続けるように祈る私たちでありたいと願います。

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